12月29日の夜にローズクランズがマーフリーズバラに到着した時までに、テネシー軍は1ヶ月間もその地域に宿営していた。夜陰の中でローズクランズ軍はナッシュビル・ターンパイクに沿って配置を終え、翌朝、ローズクランズ軍は総勢約45,000名、対するブラッグ軍は総勢約38,000名となった。勝敗の可能性はその数字が示すよりも接近していた。ブラッグには分遣しているが協働行動を取りながら北軍の戦線の背後深く襲撃しているフォレストとモーガンの騎兵隊がおり、またウィーラーの騎兵隊はヒット・アンド・ラン戦法で北軍の歩みを遅らせるという利点があった(ローズクランズがナッシュビルを離れることを躊躇したことの要因の一部は、南軍の騎兵隊に比較してその騎兵隊の経験が不足していることがあった)。12月29日、ウィーラーとその2,500名の部隊は北軍の背後に完全に回り込み、物資用荷馬車を破壊し、ローズクランズ輜重隊の予備弾薬を捕獲した。このとき捕獲したのは幌馬車隊4編成と1,000名の兵士だった。 12月30日、北軍はマーフリーズバラの北西2マイル (3 km)の線に入った。両軍は南西から北東に4マイル (6 km)にわたって並行に対峙した。当初ブラッグ軍の左翼は弱く、ローズクランズ軍が到着したときに攻撃して居ればそこから回り込んで直接マーフリーズバラの町に入れたのだが、北軍が進行している間南軍の騎兵隊が巧みに遮蔽していたので、ローズクランズはブラッグ軍の配置を良く掴んでいなかった。前年の第一次ブルランの戦いと似たようなやり方で、両軍の指揮官は翌日のために似たような作戦を考えていた。つまり敵の右翼を取り囲んでその背後に回り、そこを本隊から切り離すという作戦だった。両軍の作戦が同じだったので、勝利は最初に攻撃した方に行く可能性があった。ローズクランズは部隊に朝食後に攻撃を始めるよう準備するという命令を出したが、ブラッグは夜明けとともに攻撃することを命じた。 12月30日から31日の動きと配置ブラッグ軍はレオニダス・ポーク軍団が川の西岸に、ウィリアム・J・ハーディ軍団が東岸に配置された。ブラッグはローズクランズ軍が12月30日に攻撃してくると予測したが、その日に攻撃は起こらなかった。その作戦はハーディ軍団とジョン・A・ウォートンの騎兵隊を駆って北軍の後方に深く入らせるということだった。翌朝の攻撃のためにハーディ軍団には川を渉って左翼に付かせることを始めた。このことでブレッキンリッジ師団は川の東岸の高台に予備隊として置かれた。 ローズクランズの作戦ではクリッテンデン隊に川を渉らせ、東岸の高台を攻撃させることであり、そこは南軍の戦線全体を砲撃できる優れた砲台になると思われた。南軍左翼のブレッキンリッジに向かい合うクリッテンデンは、これら部隊の動きについてマクック(北軍右翼)に注意することを怠った。マクックは、翌日の攻撃がクリッテンデンによる主力攻撃で始まるものと予測しており、その陣地に多くの篝火を焚いて、右翼にいるその勢力について南軍を欺くことを期待し、またその側面が障害物(近くのオーバーオール・クリーク)まで届いていないように偽装した。中央のトーマスは制限された攻撃を行い、クリッテンデン隊が回り込む中心点となるよう命令されていた。 両軍はわずか700ヤード (630 m)離れただけで露営し、その音楽隊が翌日の出来事の死には至らない予告となった音楽の戦いを始めた。北軍の音楽隊は「ヤンキードゥードゥル」と「ヘイル、コロンビア」を演奏し、南軍側は「ディキシー」と「ボニー・ブルー・フラッグ」で答えた。最後に片方が「ホーム・スウィート・ホーム」を演奏するともう一方も和した。北部と南部の何千という兵士達が戦線に並んだままこの感傷的な歌を共に歌った。 12月31日午前8時12月31日の夜明け、午前6時頃、南軍のウィリアム・J・ハーディが先ず動き、北軍リチャード・W・ジョンソン准将師団の多くの者がその朝食を終える前に、ジョン・P・マッカウン少将師団が北軍の右翼を衝いた(これは北軍を早朝に急襲したことでは、ドネルソン砦の戦いとシャイローの戦いに続いて3度目の会戦だった)。南軍10,000名の兵士がその左翼に集中して大きな波となって攻撃した。マクックの偽装焚き火やマッカウンのやや未熟さもあって、その師団が左に流れ前線に隙間が空いたが、その隙間は後方から詰めたパトリック・クリバーン少将の師団によって継ぎ目無く埋められた。この2個師団が抵抗勢力を一蹴した。幾つかの砲台は1発を放つ外国為替 もなく捕獲された。右翼のジョンソン師団は損失率50%以上にもなった。その左隣にいたジェファーソン・C・デイビス准将の師団も短時間しか持ち堪えられなかった。 ハーディ軍団は堅い抵抗に遭ったものの、午前10時までにFX を鉄道やナッシュビル・パイクのある方向へ3マイル (5 km)押し込んだ。ジョンソンはそこでやっと部隊兵を再結集させることができた。ローズクランズは、ホレイショ・P・ヴァン・クリーブ准将の師団が午前7時に川を渉って始めていた南軍右翼へのクリッテンデン翼の攻撃を中止させ、自軍の右翼の補強に急行させた。ローズクランズは脅威を認識するのが遅く、マクックがハーディ軍団の攻撃を撃退できるものと思いこんでいた。ローズクランズは戦場を駆けめぐって部隊に指示を出し、その兵士達には神出鬼没に見えたが、その制服は並んで駆けていた時にFX で吹き飛ばされた友人で参謀長でもあるジュリアス・ギャレッシェ大佐の返り血で覆われていた。 12月31日午前9時45分南軍第2の波はポーク軍団のものであり、ジョーンズ・M・ウィザーズとベンジャミン・F・チーザム各少将の師団で構成された。その朝北軍の全滅を免れさせたのはフィリップ・シェリダン少将(マクックの翼)の予見だった。シェリダンは早朝の攻撃を予測し、午前4時までにその師団兵を起こして前線右半分の中央で備えさせた。ウィザーズがシェリダン師団の右翼(デイビスの左)を先ず衝いたが、3段の突撃で撃退された。続いてチーザムがその予備師団でシェリダン師団の正面を襲い、クリバーンがその側面を撃った。チーザムの攻撃は活発さが無く散発だった。戦闘を見ていた者はチーザムがひどく酔っぱらっておりその部隊を効果的に指揮できていなかったと報告した。シェリダンの部隊が敵の前進を遅らせる一方で、さらに大きな損失も出ていた。シェリダン師団の3個旅団の指揮官が全てその日の戦闘で戦死し、「ザ・スローター・ペン」(大虐殺の檻)と呼ばれた3方を囲まれた杉林の中で4時間戦い続け、その損失率は3分の1以上になった。午前10時までに南軍の目標としたものの多くが達成された。大砲は28門、兵士は3,000名以上を捕獲した。 12月31日午前11時2つの南軍のしくじりがローズクランズを助けた。川の東岸にいたブレッキンリッジは、クリッテンデンの早朝の攻撃が中止されたことを認識していなかった。彼は本隊左翼での攻撃を助けるための2個旅団による川を渉っての援軍派遣を拒否した。ブラッグがその師団を「いくらか」有効に使うためにその正面の敵に対する攻撃を命じたとき、ブレッキンリッジは前進して対抗する北軍がいないのを見出し当惑した。この頃、ブラッグは強力な北軍部隊がブラッグ軍のいる方向にレバノン・ターンパイクを伝って南下しているという誤った情報を受け取った。ブラッグはブレッキンリッジに送った川を渉っての援軍派遣命令を取り消したが、これで主力による攻撃の有効性も損なわれた。 午前11時までに、シェリダン師団の弾薬が底を突いて後退し、それでできた穴にハーディが付け込んだ。北軍はナッシュビル・パイクで再集結してその戦線を保持し、援軍や大量の大砲に支えられた。北軍左翼への繰り返された攻撃も、土地の者が「ラウンド・フォレスト」と呼ぶ岩の多い4エーカー (1.6 ha)の森林地に陣取ったウィリアム・B・ヘイズン大佐の旅団に撃退された。そこは「地獄の半エーカー」と呼ばれるようになった。ヘイズン旅団は当初の北軍戦線を守り通した唯一の部隊だった。北軍の前線はローズクランズ将軍の強い指導力とジョンソンとデイビスの師団が再結集することで安定を取り戻した。新しい前線は当初のものに対してほぼ垂直であり、FX を背にして小さな半楕円状になった。 ブラッグは北軍の左翼、楕円状の前線の南東に面し、ヘイズンの旅団が守る場所への攻撃を考案した。そのような攻撃に使える部隊はブレッキンリッジ隊だけであり、ブラッグは川を渉るように命じたが、ブレッキンリッジの動きは鈍かった。午後4時までに、ブレッキンリッジの最初の2個旅団がヘイズン隊に散発的な攻撃を行い、激しく反撃された。他の2個旅団も到着して戦場に送られ、ポーク軍団の他の部隊にも支援された。その攻撃は2度目も失敗した。トーマスが抑えた反撃をしてその正面を払った。午後4時半までに、戦闘は終わった。 12月31日午後4時ブラッグの作戦には基本的な欠陥があった。その目標はローズクランズの通信線(ナッシュビル・パイク)を遮断することにあったが、その攻撃によって北軍をまさにその地点に集めてしまった。ブラッグの伝記作者、グラディ・マックウィニーは次のように述べた。